レトロスペクティヴ京都

去年の12月に京都に行き、色々楽しめたので旅行記をしたためていたのだけれど、
書き上げるのがめんどくさくて放置していた。そうこうしているうちに今度は博多へ
行ってきたので、博多旅行記を書こうと思い、まずは放置していた京都編を片さんと半年経ってようやく手を付けた。


ゆえに中途半端な状態で投稿するわけですがお許しください。千葉雅也いわくあらゆる事物のプロセスは常に途中らしいので、別にいいでしょう。

 

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私が京都へやって来るときはいつも冷え切った季節な気がする。
京都観光ではポピュラーな葵祭大文字焼き、紅葉の時期に訪れたことがなく、観光シーズンも外れの2月、3月に遊びに来ることが多かった。その方が街も空いているのと、なんとなく京都には冬が似合う気がするからだ。
橋の上から見る鴨川はまっすぐに伸びて気持ちがいい。空が高いせいだろうか?古都なのに解放感すら感じさせる。この景色を見るとああ京都に来たなあと実感する。ぼんやりとした明かりに浮かび上がる町家の壁はまるで迷宮のようで、艶めかしさにあてられて意味もなく徘徊してしまう。それもまた楽しい。

 

今回の旅では五条の高瀬川沿いにある旅館を選んだ。
京都駅から七条方面へ、木屋町通りを抜けて五条大橋のたもとへ向かいながら、義務教育のどこかで習った『高瀬船』を思い出していた。
真横を流れる川は、川とはいえ干上がった水路に近く、とても船が通れるほどの水量はないように見えた。スニーカーのまま降りても対して濡れないだろう。

歩きながら、小学生のころ通学路の横にあった川を思い出す。奇しくもその川は鴨川といった。記憶の中の鴨川は常にどぶの臭い漂う生活河川だったが、高瀬川からは不思議と不快な悪臭は漂ってこなかった。

 

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木屋町通りはしだれ柳がさざめく閑静な通りだが、旅館までの道のりは他の小路とどことなく雰囲気が違う気がした。
妖しい店があるわけでもなく、幼稚園やビジネスホテルが並ぶいたって平凡な通りなのに、祇園先斗町とは違う生々しい空気と、少しの緊張感がある感じ。

たどり着いた旅館の人に聞けば、高瀬川沿いの五条から七条に至る一帯は
つい10年ほど前まで『五条楽園』と呼ばれる京都屈指の遊郭地帯だったらしい。
府政により健全化された今はその名残も点々と残る遊郭建築ぐらいだけど、
『サウナの梅湯』前にかかる朱色の鮮やかな橋は、確かに往時を連想させた。

旅館そのものもかつての遊郭を改装したもので、入り口と出口が別々にあり、客同士が顔を合わせず利用できるようになっていると知り、背中がむずむずする。

 

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京セラ美術館で開催していた『アンディ・ウォーホル』展を見たあと、今回の旅の目当てだった祇園の牛割烹「安参」へと足を運んだ。
小人数では予約不可・開店前から並ぶ店だと聞いていたのであらかじめ余裕をもって向かったが、既に暗がりのなかで少なくない人影が列を作りはじめており、慌ててその後ろについた。10人はいるだろうか。はたしてこの数で一巡目に入れるかな?と考えながら、軒先の赤提灯と背後にそびえる水商売ビルの尖塔を眺めては、歯の根も合わない寒さのなか扉が開く音を今か今かと待ち続ける。

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私の後に続いた中年男性の一団は世間話を始め、どうやらこの店の常連らしかった。

やがて祇園方面からひとり初老の女性が現れると、彼らが大女将と親しげに話しかける。大女将は列に向かって一礼するとがらがらと店の戸を開けて、しばらくして暖簾がかかる。

助かった!どうやら一巡目に滑り込むことができた。不幸にも一巡目で入れななかった人々は向こう1,2時間ほど寒空の下で待つか女将から呼び出しの電話が入るまでどこかで時間を潰すことになる。回転のいいオタクラーメンとはわけが違う。
あと数人、前に並んでいたら入れないところだった!

我々は小さな入り口からぞろぞろと詰めていくと、中はウナギの寝床のように奥まで続いていた。典型的な京町家だ。味のある木目の大きなカウンターを一同が囲み、肩を寄せ合い配膳を待つ。熱燗を頼むと、大女将が酒タンポで温めたものを直接注いでもらえた。その接客に何か特権のようなものを感じながら、先ほどの常連らしい中年男性らと大女将のやりとりを小耳にはさみつつ、心地よい空間を楽しめた。

 

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遊里の話ばかりしていたら猫弁天(京都で数少ない性風俗店)に足を向けたくもなったが気が引けたので、せめて浮世の垢をと思い「サウナの梅湯」でひと風呂浴びることに。
ありがたいことに深夜まで営業しているため、23時過ぎぐらいに訪問したが、さすがに京都を代表する銭湯らしく若人たちに大人気だった。
ヤンチャな子供たちや紋々入れた兄ちゃんから謎の黒人等でまさしくイモ洗い状態。
ここの湯船は特徴的で、掘りごたつのように底が深くなっているので、縁に腰掛けながらじっくり浸かれる。ふと壁に目をやると「梅湯新聞」なる紙が貼られており、どうやら毎月刊行している手書きのエッセイのような新聞らしい。
まるで中学時代に教室に貼られていた壁新聞が如き味わい深さがあり、風呂とともに体に染みわたる。

こういうDIY感が大事にされているのって、なんか京都特有だよなあとしみじみ思う。思えば「ホホホ座」のPOPも京都大学の学生連中がやる立て看もこんな感じだ。

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東京だったらこういう手法は非洗練で野暮なものとして淘汰されるし、店舗でもやろうものなら大手資本によって上から小奇麗に塗り込められてしまう気がする。
ネットで誰かが「京都はいつまでも学生気分のやつなら居心地がいい」と評していたけど、それは悪い意味ではなく言いえて妙だと思った。

 

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今回の旅のもうひとつの目的は「桂離宮」であった。皇族の別荘として造営されたこの庭園はいまだに宮内庁の管轄であるため、行けば入れるという代物ではない。以前は往復はがきで抽選に応募するしか方法がなかったようだが、最近になり特設サイトから応募することが可能になり難易度がグンと下がった。しかしこれがまた高倍率で……。

私も観覧するために毎日張り付いてようやく空きが出たところに滑り込めたので、日程が決まっているなら早めに応募することをおすすめします。

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ちなみに宮内庁の管轄であるため庭園の警備は皇宮警察が担当するようだ。中も自由には散策できず、ツアーとしてアテンドして頂く職員についていく形となる。庵のつくりや景色の随所に手の込んだ造営を感じさせ、さすが宮様の家だけあるわと感心させられる。

 

見学を終え、新幹線の時間まで時間を潰そうとスマホを見てた矢先、『電気設備故障のため東海道新幹線が大幅遅れ。復旧見込未定』なんてニュースが流れてこんできた。
なんて最悪のタイミング!とはいえまだ14時、遅くても夜には東京に帰れるだろうと高をくくってフラフラしていたが、待てど暮らせど復旧のニュースは流れてこず、居ても立っても居られず京都駅まで向かうと、そこには見たこともないような長蛇の列が。
この時点で面食らうもまだ都合のいいバイアスに目を曇らせていた私は、「待ってれば数時間遅れで到着するだろうし、それまでせいぜい京都を楽しむべ」と初めての京懐石を堪能しに向かった。ぐじもかぶら煮も初めて食べましたよ。繊細なお味で大いに結構でした。

食べ終わって再び様子をうかがうも、いまだ乗車予定の便は再開見込みは立たず、しびれを切らしてみどりの窓口まで向かうと、かろうじて動いている前の便に振り替えてもらえた。知らなかったことだが、新幹線の指定席は他の便の指定席へ振り替えてもらうことが可能らしい。それができるなら、もっと早くにお願いすればよかった……。
ホーム上では「終電に間に合わない恐れがある」「なるべく載れる新幹線に乗ってください」と恐ろしげなアナウンスが響き、東京へ帰る人々の群れは心配そうに線路の先を見つめていた。
時刻は21時30分。明日から出勤なのにこんな時間まで京都にいるなんて思ってもみなかったし、物理的にギリギリ可能だったのでびっくりした。

まあ少なくとも帰れたわけだし、トラブルも旅の醍醐味ということですね。