ファシスト・パスタを食べて

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諸兄らは『イタリア』と聞いて何を思い浮かべるだろうか

ローマ?ヴェネツィア?ピッツァ?フェラーリランボルギーニフィアット500C

 

そう、パスタでしょセニョール。

食べ物が人を作る。その人が食べてきたものが血となり、肉となり、個を作り、集団を作り、文化を作る。

ハンバーガーがアメリカを象徴するように、寿司が日本を象徴するように、食べ物は往々にしてその民族のアイデンティティを形作る最も身近なものであることは疑いようがない。であれば、パスタこそイタリアを代表する食べ物であることは疑いようがないはずだ。ピザのことは置いておいて…

イタリアの代名詞ともいえる『パスタ』だが、かつてパスタがイタリア人自身の手によって滅ぼされようとしていたことをご存じだろうか。

自らのアイデンティティともいえるパスタを葬らんとしたイタリア人。その理由は、イタリア人からアイデンティティを簒奪しようと試みる、近代に産声を上げた新たなイデオロギーだった。

 

 

そもそもイタリア半島は小麦の生産に向いていなかった。国土は元より険しく山がちで、特にアルプス山脈に囲まれた北イタリアはなおのこと土地が限られた。栽培に適した地が少ないためか、代わりに新大陸から持ち込まれたトウモロコシやアラブから持ち込まれたコメを口にしていた。

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今日私たちが魅了される『リゾット』が北イタリア・ミラノの郷土料理であることはその歴史を裏付ける。イタリアはヨーロッパでも数少ない稲作の伝統が残る国家だが、米の栽培地域はほぼ北イタリア・ポー川一帯に限られている。この辺は気候が温暖で、かつ川の支流が多く走る広大な湿地帯であったことから米が急速に普及したらしい。19世紀にイタリア独立の父・カブールによって近代的な灌漑システムが構築されると、瞬く間に同地はヨーロッパ最大の稲作地域に発展する。

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ところで、一体誰がリゾットを嫌えるだろう?

こう聞くと、なんだかイタリア人に親近感を覚えてしまいそうだ。プラダヴェルサーチだを着てすました顔でスカラ座の前をモデル歩きで通り過ぎるミラニスタも、春先には農協(IA)の帽子に長靴のいでたちで「トラクターの轍が平らになってねえすけ慣らしてくれや(長岡弁)」等と叫びながら汗水たらして泥をかき混ぜているに違いない。

メシにうるさく、海に囲まれ、自分たちの料理に強い自負心を抱いている、まるで我々と瓜二つではないか?ディオミーオ!今度はドイツ抜きでやろう。

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田植えを行う小麦色の肌(米だけど)のイタリア人女性。帽子の巻き方や服装からは泥臭い田植えひとつでも気取ってやるぞという気概を感じさせ、さすがイタリア人と思わざずにいられない。こんなうら若きシニョリーナがいるなら衰退まっしぐらの日本の農村も少しは活気づくのであろうが、現実には性別すら判断覚束ないババアが跋扈しているだけで、悪夢の辺境と呼ぶにふさわしい。

話を戻すと、近代を迎え爆発的な人口増加が始まったイタリアでは、食糧自給が大きな焦点となった。

引き金になったのはやはり戦争だ。第一次大戦の勃発によって東欧から輸入していた小麦が届かなくなると、輸入頼りの食糧事情は急激に悪化、国内では抗議デモが頻発し戦争どころではない大混乱に陥った。その後政権を掌握したイタリアのファシストムッソリーニは、『小麦戦争』と銘打ち国内の食糧問題解決に舵を切った。品種改良によって生まれた従来品の約10倍近い収穫量を誇る小麦に「アルディート」と名付け、イタリア中で普及促進を図ったのだ。

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アルディートとは大戦中に名を馳せたイタリア軍エリート突撃部隊「アルディーティ」に由来する。1918年、彼ら精鋭1万8千人はナイフを咥えたまま渡河攻撃を慣行し、対岸で銃砲を構えるオーストリア将兵へ白兵戦を挑み、みごと突破口を築くことに成功した。彼らは敵陣深くまで忍び込むと手りゅう弾と火炎放射器で四方八方を攻撃、瞬く間に戦線を崩壊させたという。終戦まで果敢に戦い続けた彼らの名は『戦勝国』たるイタリア人の胸に深く刻まれた。

かく勇壮な名前を与えられた新型小麦は、ファシスト党の熱心なPRによって急速に全土へと普及、収穫量は30年で300万トン近くも増え、イタリアは念願であった小麦の食糧自給を達成することが出来た。これまでイタリア人にとって小麦はぜいたく品だったのだ!よかった、これで毎日三食パスタが食べられるんだね……。

ところが、そうは問屋が卸さなかった。ファシスト党が食糧自給を達成したかった理由といえば「小麦の輸入量」を減らし、食糧自給によって外国への依存から脱却したかったからであり、国内生産量が増えれば当然、海外からの輸入量は減る。国民の口に入る小麦の総量は大して変わりないのだ。

イタリア国民が気をもむのを他所に、食糧自給を更に盤石なものへとするため、ムッソリーニが取った次の一手は「小麦の代わり」となる穀物の生産・消費を奨励することだった。

イタリア半島で生産しやすく、小麦よりも栄養価が高いもの。

そう、お米だよね。

ムッソリーニ米食文化の根付く北イタリア出身だった。米に白羽の矢が立った理由と関係があるのかないのかは知らないが、まあ南部人よりかは親しんでたんじゃないすか。

そんな感じで米食を全国へ普及させるため、彼らは2月19日を「米の日」などと称して南部の住民に無償で配ったり、リストランテで米料理を出すように要求するなどの活動を行っていたらしいが……

イマイチやる気を感じない。新メニューを作れと要望する様はただのめんどくさい客のやるそれだし、記念日作りの口実なら俵万智のほうが何倍も上手に思える。

他にも、ファシスト党は思想面からパスタの存在意義を否定した。ファシストの青年組織「黒シャツ隊」の隊員でもあり、詩人・思想家であったフィリッポ・マリネッティは、

「パスタは重く、残忍な食べ物」「食べた者を悲観的にさせるような、過去主義者の食べ物」

と卑劣なレッテルを張り、擦ることに執心した。彼は「未来派」と呼ばれる芸術運動の担い手でもあり、その思想は従来の文化を否定し、急速に発達した近代社会を称賛するものだった。未来派にとって、パスタとは砂漠で大量の水を用意しないと食えないような堕落した不条理な回虫のような細長いなにかとして映っていたに違いない。

こうした一連の活動は、実際のところ大して効果を挙げなかった。戦間期を通して、ただでさえ党の命令に公然と反抗するイタリア人は少なくなかったし、幸か不幸か、イタリア人のいい加減な性格は命令の上意下達の徹底を阻害した。中央政府の方針が地方当局に伝えられる際、必ずしも正確に伝えられたわけではなく、受け手もそれを都合のいいように解釈したからだ。伝言ゲームの悪い例の典型のようだが、少なくともこの場合はいいように働いた。

とはいえ、第二次大戦が始まり食糧事情が悪化すると自然とパスタを口にする回数も減り、当時の人々はもっぱら野菜のミネストローネ・トウモロコシのパン・豆類といった粗食(イタリア人比)で糊口を凌いでいたようだ。

 

反パスタ運動の顛末からは、近代に生まれた新たな政治思想や、時の政権による思想統制がどれほど強固であろうと、ひとつの民族のアイデンティティとして受け継がれてきたメシを取り上げることの難しさを証明している。マリネッティの主張に対するナポリ市長のウィットに富んだコメントには、そうした愚行を暗に嘲るニュアンスが含まれているよう思える。

マリネッティの演説や未来派マニフェストは、一部で議論を引き起こしました。マリネッティの元にはイタリア中部ラクイラ市の女性から抗議の手紙が届き、当時のナポリ市長は「楽園の天使たちはトマトソースでヴェルミチェッリ(スパゲッティのような麺)しか食べない」と皮肉めいたコメントをしています。

 

最終的に彼ら未来派は近代芸術を「退廃的」とみなすナチの影響を受けたファシスト党と袂を分かつことになり、同時にこうした思想運動も下火になったらしい。党が肝入りで造り上げた「お米記念日」も実施は最初の1回のみで、それ以降に何か催された記録はなかった。結局、「この味がいいね」と君が言ってくれた日以上に覚えていられる日付なんて早々ないのかもしれない。

1943年7月25日、敗北が避けられない状況にあると悟った閣僚らに突き上げられ、ムッソリーニは失脚した。イタリアはその後、凄惨な内戦と連合軍による容赦ない戦火に晒され大きく荒廃し、ファシズム政権は終わりを迎える。そんな焼け跡の灰から『カルボナーラ』といった輝かしいイタリア料理が新たに誕生したことを考えると、紡がれてきた食文化がいかにたくましいかを考えさせられる。

 

話は変わって、イタリア北部の小さな町、カンページネに住んでいたチェルビ一家は、いつものように畑仕事から帰るときにムッソリーニ失脚の報を聞き喜んだ。21年に渡る独裁政権の終焉を祝うため、近所の牧場からバターとチーズを買うと、何キロものパスタを茹で味付けし、町の広場でふるまった。こうして生まれた「アンチファシスト・パスタ」は地域の伝統行事として定着したようで、今日に至るまで毎年、地域で祝われているらしい。

 

マスク着用者がほとんどいない今年の祭りの様子

 

ほんとはこの記事の最後を飾るため、上記チェルビ氏が振舞ったとされるパスタを作って写真でも載せ閲覧数を稼ごうかと目論んでいたのだが、ジャンクフードに慣れた私の堕落した味蕾たちは今更チーズとバターを和えただけの素パスタもどきをおいしく食べられるとも思えなかったし、このためだけにチーズおろし器を買うのもめんどくさかったのでやめました。祭りの様子を見るに提供されているパスタは別に当時のレシピに準拠しなくてもOKっぽいし、おととい食ったたらこパスタでも十分アンチ・ファシズムの思想に共鳴したことになるだろう。たらこパスタ考えた人凄くない?

 

たらこの赤は、自由のため立ち上がり流された血の色だ。

 

参考

http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?research/iilcs/04_lcs_32_1_yamate.pdf

https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/attach/pdf/050325_pr15_06.pdf