レトロスペクティヴ京都
去年の12月に京都に行き、色々楽しめたので旅行記をしたためていたのだけれど、
書き上げるのがめんどくさくて放置していた。そうこうしているうちに今度は博多へ
行ってきたので、博多旅行記を書こうと思い、まずは放置していた京都編を片さんと半年経ってようやく手を付けた。
ゆえに中途半端な状態で投稿するわけですがお許しください。千葉雅也いわくあらゆる事物のプロセスは常に途中らしいので、別にいいでしょう。
私が京都へやって来るときはいつも冷え切った季節な気がする。
京都観光ではポピュラーな葵祭や大文字焼き、紅葉の時期に訪れたことがなく、観光シーズンも外れの2月、3月に遊びに来ることが多かった。その方が街も空いているのと、なんとなく京都には冬が似合う気がするからだ。
橋の上から見る鴨川はまっすぐに伸びて気持ちがいい。空が高いせいだろうか?古都なのに解放感すら感じさせる。この景色を見るとああ京都に来たなあと実感する。ぼんやりとした明かりに浮かび上がる町家の壁はまるで迷宮のようで、艶めかしさにあてられて意味もなく徘徊してしまう。それもまた楽しい。
今回の旅では五条の高瀬川沿いにある旅館を選んだ。
京都駅から七条方面へ、木屋町通りを抜けて五条大橋のたもとへ向かいながら、義務教育のどこかで習った『高瀬船』を思い出していた。
真横を流れる川は、川とはいえ干上がった水路に近く、とても船が通れるほどの水量はないように見えた。スニーカーのまま降りても対して濡れないだろう。
歩きながら、小学生のころ通学路の横にあった川を思い出す。奇しくもその川は鴨川といった。記憶の中の鴨川は常にどぶの臭い漂う生活河川だったが、高瀬川からは不思議と不快な悪臭は漂ってこなかった。
木屋町通りはしだれ柳がさざめく閑静な通りだが、旅館までの道のりは他の小路とどことなく雰囲気が違う気がした。
妖しい店があるわけでもなく、幼稚園やビジネスホテルが並ぶいたって平凡な通りなのに、祇園や先斗町とは違う生々しい空気と、少しの緊張感がある感じ。
たどり着いた旅館の人に聞けば、高瀬川沿いの五条から七条に至る一帯は
つい10年ほど前まで『五条楽園』と呼ばれる京都屈指の遊郭地帯だったらしい。
府政により健全化された今はその名残も点々と残る遊郭建築ぐらいだけど、
『サウナの梅湯』前にかかる朱色の鮮やかな橋は、確かに往時を連想させた。
旅館そのものもかつての遊郭を改装したもので、入り口と出口が別々にあり、客同士が顔を合わせず利用できるようになっていると知り、背中がむずむずする。
京セラ美術館で開催していた『アンディ・ウォーホル』展を見たあと、今回の旅の目当てだった祇園の牛割烹「安参」へと足を運んだ。
小人数では予約不可・開店前から並ぶ店だと聞いていたのであらかじめ余裕をもって向かったが、既に暗がりのなかで少なくない人影が列を作りはじめており、慌ててその後ろについた。10人はいるだろうか。はたしてこの数で一巡目に入れるかな?と考えながら、軒先の赤提灯と背後にそびえる水商売ビルの尖塔を眺めては、歯の根も合わない寒さのなか扉が開く音を今か今かと待ち続ける。
私の後に続いた中年男性の一団は世間話を始め、どうやらこの店の常連らしかった。
やがて祇園方面からひとり初老の女性が現れると、彼らが大女将と親しげに話しかける。大女将は列に向かって一礼するとがらがらと店の戸を開けて、しばらくして暖簾がかかる。
助かった!どうやら一巡目に滑り込むことができた。不幸にも一巡目で入れななかった人々は向こう1,2時間ほど寒空の下で待つか女将から呼び出しの電話が入るまでどこかで時間を潰すことになる。回転のいいオタクラーメンとはわけが違う。
あと数人、前に並んでいたら入れないところだった!
我々は小さな入り口からぞろぞろと詰めていくと、中はウナギの寝床のように奥まで続いていた。典型的な京町家だ。味のある木目の大きなカウンターを一同が囲み、肩を寄せ合い配膳を待つ。熱燗を頼むと、大女将が酒タンポで温めたものを直接注いでもらえた。その接客に何か特権のようなものを感じながら、先ほどの常連らしい中年男性らと大女将のやりとりを小耳にはさみつつ、心地よい空間を楽しめた。
遊里の話ばかりしていたら猫弁天(京都で数少ない性風俗店)に足を向けたくもなったが気が引けたので、せめて浮世の垢をと思い「サウナの梅湯」でひと風呂浴びることに。
ありがたいことに深夜まで営業しているため、23時過ぎぐらいに訪問したが、さすがに京都を代表する銭湯らしく若人たちに大人気だった。
ヤンチャな子供たちや紋々入れた兄ちゃんから謎の黒人等でまさしくイモ洗い状態。
ここの湯船は特徴的で、掘りごたつのように底が深くなっているので、縁に腰掛けながらじっくり浸かれる。ふと壁に目をやると「梅湯新聞」なる紙が貼られており、どうやら毎月刊行している手書きのエッセイのような新聞らしい。
まるで中学時代に教室に貼られていた壁新聞が如き味わい深さがあり、風呂とともに体に染みわたる。
こういうDIY感が大事にされているのって、なんか京都特有だよなあとしみじみ思う。思えば「ホホホ座」のPOPも京都大学の学生連中がやる立て看もこんな感じだ。
東京だったらこういう手法は非洗練で野暮なものとして淘汰されるし、店舗でもやろうものなら大手資本によって上から小奇麗に塗り込められてしまう気がする。
ネットで誰かが「京都はいつまでも学生気分のやつなら居心地がいい」と評していたけど、それは悪い意味ではなく言いえて妙だと思った。
今回の旅のもうひとつの目的は「桂離宮」であった。皇族の別荘として造営されたこの庭園はいまだに宮内庁の管轄であるため、行けば入れるという代物ではない。以前は往復はがきで抽選に応募するしか方法がなかったようだが、最近になり特設サイトから応募することが可能になり難易度がグンと下がった。しかしこれがまた高倍率で……。
私も観覧するために毎日張り付いてようやく空きが出たところに滑り込めたので、日程が決まっているなら早めに応募することをおすすめします。
ちなみに宮内庁の管轄であるため庭園の警備は皇宮警察が担当するようだ。中も自由には散策できず、ツアーとしてアテンドして頂く職員についていく形となる。庵のつくりや景色の随所に手の込んだ造営を感じさせ、さすが宮様の家だけあるわと感心させられる。
見学を終え、新幹線の時間まで時間を潰そうとスマホを見てた矢先、『電気設備故障のため東海道新幹線が大幅遅れ。復旧見込未定』なんてニュースが流れてこんできた。
なんて最悪のタイミング!とはいえまだ14時、遅くても夜には東京に帰れるだろうと高をくくってフラフラしていたが、待てど暮らせど復旧のニュースは流れてこず、居ても立っても居られず京都駅まで向かうと、そこには見たこともないような長蛇の列が。
この時点で面食らうもまだ都合のいいバイアスに目を曇らせていた私は、「待ってれば数時間遅れで到着するだろうし、それまでせいぜい京都を楽しむべ」と初めての京懐石を堪能しに向かった。ぐじもかぶら煮も初めて食べましたよ。繊細なお味で大いに結構でした。
食べ終わって再び様子をうかがうも、いまだ乗車予定の便は再開見込みは立たず、しびれを切らしてみどりの窓口まで向かうと、かろうじて動いている前の便に振り替えてもらえた。知らなかったことだが、新幹線の指定席は他の便の指定席へ振り替えてもらうことが可能らしい。それができるなら、もっと早くにお願いすればよかった……。
ホーム上では「終電に間に合わない恐れがある」「なるべく載れる新幹線に乗ってください」と恐ろしげなアナウンスが響き、東京へ帰る人々の群れは心配そうに線路の先を見つめていた。
時刻は21時30分。明日から出勤なのにこんな時間まで京都にいるなんて思ってもみなかったし、物理的にギリギリ可能だったのでびっくりした。
まあ少なくとも帰れたわけだし、トラブルも旅の醍醐味ということですね。
ファシスト・パスタを食べて
諸兄らは『イタリア』と聞いて何を思い浮かべるだろうか
ローマ?ヴェネツィア?ピッツァ?フェラーリ?ランボルギーニ?フィアット500C?
そう、パスタでしょセニョール。
食べ物が人を作る。その人が食べてきたものが血となり、肉となり、個を作り、集団を作り、文化を作る。
ハンバーガーがアメリカを象徴するように、寿司が日本を象徴するように、食べ物は往々にしてその民族のアイデンティティを形作る最も身近なものであることは疑いようがない。であれば、パスタこそイタリアを代表する食べ物であることは疑いようがないはずだ。ピザのことは置いておいて…
イタリアの代名詞ともいえる『パスタ』だが、かつてパスタがイタリア人自身の手によって滅ぼされようとしていたことをご存じだろうか。
自らのアイデンティティともいえるパスタを葬らんとしたイタリア人。その理由は、イタリア人からアイデンティティを簒奪しようと試みる、近代に産声を上げた新たなイデオロギーだった。
そもそもイタリア半島は小麦の生産に向いていなかった。国土は元より険しく山がちで、特にアルプス山脈に囲まれた北イタリアはなおのこと土地が限られた。栽培に適した地が少ないためか、代わりに新大陸から持ち込まれたトウモロコシやアラブから持ち込まれたコメを口にしていた。
今日私たちが魅了される『リゾット』が北イタリア・ミラノの郷土料理であることはその歴史を裏付ける。イタリアはヨーロッパでも数少ない稲作の伝統が残る国家だが、米の栽培地域はほぼ北イタリア・ポー川一帯に限られている。この辺は気候が温暖で、かつ川の支流が多く走る広大な湿地帯であったことから米が急速に普及したらしい。19世紀にイタリア独立の父・カブールによって近代的な灌漑システムが構築されると、瞬く間に同地はヨーロッパ最大の稲作地域に発展する。
こう聞くと、なんだかイタリア人に親近感を覚えてしまいそうだ。プラダだヴェルサーチだを着てすました顔でスカラ座の前をモデル歩きで通り過ぎるミラニスタも、春先には農協(IA)の帽子に長靴のいでたちで「トラクターの轍が平らになってねえすけ慣らしてくれや(長岡弁)」等と叫びながら汗水たらして泥をかき混ぜているに違いない。
メシにうるさく、海に囲まれ、自分たちの料理に強い自負心を抱いている、まるで我々と瓜二つではないか?ディオミーオ!今度はドイツ抜きでやろう。
話を戻すと、近代を迎え爆発的な人口増加が始まったイタリアでは、食糧自給が大きな焦点となった。
引き金になったのはやはり戦争だ。第一次大戦の勃発によって東欧から輸入していた小麦が届かなくなると、輸入頼りの食糧事情は急激に悪化、国内では抗議デモが頻発し戦争どころではない大混乱に陥った。その後政権を掌握したイタリアのファシスト・ムッソリーニは、『小麦戦争』と銘打ち国内の食糧問題解決に舵を切った。品種改良によって生まれた従来品の約10倍近い収穫量を誇る小麦に「アルディート」と名付け、イタリア中で普及促進を図ったのだ。
アルディートとは大戦中に名を馳せたイタリア軍エリート突撃部隊「アルディーティ」に由来する。1918年、彼ら精鋭1万8千人はナイフを咥えたまま渡河攻撃を慣行し、対岸で銃砲を構えるオーストリア将兵へ白兵戦を挑み、みごと突破口を築くことに成功した。彼らは敵陣深くまで忍び込むと手りゅう弾と火炎放射器で四方八方を攻撃、瞬く間に戦線を崩壊させたという。終戦まで果敢に戦い続けた彼らの名は『戦勝国』たるイタリア人の胸に深く刻まれた。
かく勇壮な名前を与えられた新型小麦は、ファシスト党の熱心なPRによって急速に全土へと普及、収穫量は30年で300万トン近くも増え、イタリアは念願であった小麦の食糧自給を達成することが出来た。これまでイタリア人にとって小麦はぜいたく品だったのだ!よかった、これで毎日三食パスタが食べられるんだね……。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。ファシスト党が食糧自給を達成したかった理由といえば「小麦の輸入量」を減らし、食糧自給によって外国への依存から脱却したかったからであり、国内生産量が増えれば当然、海外からの輸入量は減る。国民の口に入る小麦の総量は大して変わりないのだ。
イタリア国民が気をもむのを他所に、食糧自給を更に盤石なものへとするため、ムッソリーニが取った次の一手は「小麦の代わり」となる穀物の生産・消費を奨励することだった。
イタリア半島で生産しやすく、小麦よりも栄養価が高いもの。
そう、お米だよね。
ムッソリーニは米食文化の根付く北イタリア出身だった。米に白羽の矢が立った理由と関係があるのかないのかは知らないが、まあ南部人よりかは親しんでたんじゃないすか。
そんな感じで米食を全国へ普及させるため、彼らは2月19日を「米の日」などと称して南部の住民に無償で配ったり、リストランテで米料理を出すように要求するなどの活動を行っていたらしいが……
イマイチやる気を感じない。新メニューを作れと要望する様はただのめんどくさい客のやるそれだし、記念日作りの口実なら俵万智のほうが何倍も上手に思える。
他にも、ファシスト党は思想面からパスタの存在意義を否定した。ファシストの青年組織「黒シャツ隊」の隊員でもあり、詩人・思想家であったフィリッポ・マリネッティは、
「パスタは重く、残忍な食べ物」「食べた者を悲観的にさせるような、過去主義者の食べ物」
と卑劣なレッテルを張り、擦ることに執心した。彼は「未来派」と呼ばれる芸術運動の担い手でもあり、その思想は従来の文化を否定し、急速に発達した近代社会を称賛するものだった。未来派にとって、パスタとは砂漠で大量の水を用意しないと食えないような堕落した不条理な回虫のような細長いなにかとして映っていたに違いない。
こうした一連の活動は、実際のところ大して効果を挙げなかった。戦間期を通して、ただでさえ党の命令に公然と反抗するイタリア人は少なくなかったし、幸か不幸か、イタリア人のいい加減な性格は命令の上意下達の徹底を阻害した。中央政府の方針が地方当局に伝えられる際、必ずしも正確に伝えられたわけではなく、受け手もそれを都合のいいように解釈したからだ。伝言ゲームの悪い例の典型のようだが、少なくともこの場合はいいように働いた。
とはいえ、第二次大戦が始まり食糧事情が悪化すると自然とパスタを口にする回数も減り、当時の人々はもっぱら野菜のミネストローネ・トウモロコシのパン・豆類といった粗食(イタリア人比)で糊口を凌いでいたようだ。
反パスタ運動の顛末からは、近代に生まれた新たな政治思想や、時の政権による思想統制がどれほど強固であろうと、ひとつの民族のアイデンティティとして受け継がれてきたメシを取り上げることの難しさを証明している。マリネッティの主張に対するナポリ市長のウィットに富んだコメントには、そうした愚行を暗に嘲るニュアンスが含まれているよう思える。
マリネッティの演説や未来派のマニフェストは、一部で議論を引き起こしました。マリネッティの元にはイタリア中部のラクイラ市の女性から抗議の手紙が届き、当時のナポリ市長は「楽園の天使たちはトマトソースでヴェルミチェッリ(スパゲッティのような麺)しか食べない」と皮肉めいたコメントをしています。
最終的に彼ら未来派は近代芸術を「退廃的」とみなすナチの影響を受けたファシスト党と袂を分かつことになり、同時にこうした思想運動も下火になったらしい。党が肝入りで造り上げた「お米記念日」も実施は最初の1回のみで、それ以降に何か催された記録はなかった。結局、「この味がいいね」と君が言ってくれた日以上に覚えていられる日付なんて早々ないのかもしれない。
1943年7月25日、敗北が避けられない状況にあると悟った閣僚らに突き上げられ、ムッソリーニは失脚した。イタリアはその後、凄惨な内戦と連合軍による容赦ない戦火に晒され大きく荒廃し、ファシズム政権は終わりを迎える。そんな焼け跡の灰から『カルボナーラ』といった輝かしいイタリア料理が新たに誕生したことを考えると、紡がれてきた食文化がいかにたくましいかを考えさせられる。
話は変わって、イタリア北部の小さな町、カンページネに住んでいたチェルビ一家は、いつものように畑仕事から帰るときにムッソリーニ失脚の報を聞き喜んだ。21年に渡る独裁政権の終焉を祝うため、近所の牧場からバターとチーズを買うと、何キロものパスタを茹で味付けし、町の広場でふるまった。こうして生まれた「アンチファシスト・パスタ」は地域の伝統行事として定着したようで、今日に至るまで毎年、地域で祝われているらしい。
マスク着用者がほとんどいない今年の祭りの様子
ほんとはこの記事の最後を飾るため、上記チェルビ氏が振舞ったとされるパスタを作って写真でも載せ閲覧数を稼ごうかと目論んでいたのだが、ジャンクフードに慣れた私の堕落した味蕾たちは今更チーズとバターを和えただけの素パスタもどきをおいしく食べられるとも思えなかったし、このためだけにチーズおろし器を買うのもめんどくさかったのでやめました。祭りの様子を見るに提供されているパスタは別に当時のレシピに準拠しなくてもOKっぽいし、おととい食ったたらこパスタでも十分アンチ・ファシズムの思想に共鳴したことになるだろう。たらこパスタ考えた人凄くない?
たらこの赤は、自由のため立ち上がり流された血の色だ。
参考
http://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?research/iilcs/04_lcs_32_1_yamate.pdf
https://www.maff.go.jp/primaff/kanko/review/attach/pdf/050325_pr15_06.pdf
南軍におけるバトルクライ「反逆者のエール」は何が発祥か
鬨の声(バトルクライ)、といえば日本人とロシア人が大好きなものだ。(なぜならどちらも近代戦で向こう見ずな戦い方を経験したから)
ところで世界には洋の東西を問わず、様々な種類の鬨の声がある。いくさの最も重要な局面、相手と相対しいよいよ突撃するという場面で己を奮い立たせるために、人類は様々な言葉を叫び、そして向かっていった。
面白いのは南北戦争で南軍が使用したものだ。南北戦争ものの映画なんかを見てると、南軍兵士がしきりにイイイイイイ!!みたいないかにも悪役然とした金切り声を上げているのをよく見かける。「奴隷制支持者の野蛮な南部の田舎者」を表現する映画的な演出かと長らく思っていたのだが、ところがどうもそうではないらしい。
・「反逆者のエール」
南北戦争中に南軍兵士が好んで金切り声をあげていた。ウサギの悲鳴のように甲高く聴くものをおぞけだたせるそれの起源はネイティブアメリカンだとも、キツネ狩りの際に獲物を誘導する独特の発声法に由来するものともいわれる。
南軍退役軍人のエールを記録したもの。
エールについて決まった文言はないようで、「インディアンと狼の叫び声の中間のようなもの」を出すと説明される。こうした異質な叫び声は対峙する相手を怯えさせる一方で、発している自分たちの恐怖心を和らげる効果もあったという。
南軍の大声は恐怖をコントロールするのを助けることを目的とした。ある兵士が説明したように、「私は突撃するときに叫びたくありませんでした。しかし、初めて銃を発砲したとき、私はできる限り大きな声で叫び、(走り)止まるまですべての息を止めました。」
また、南軍の将軍ジュバル・アンダーソン・アーリーは弾薬が尽きたため突撃をためらった部隊に「敵に向かって叫べ!」と命じた。
由来として正しいかは不明だが、当時から多くの人間がエールをネイティブアメリカンと関連付けていたようだ。実際、南軍のパルチザン部隊であるヴァージニア騎兵第35大隊はその特徴的な叫び声と、おそらく略奪を行うパルチザンという観点から「コマンチェ」(乗馬と略奪で名を馳せたネイティブアメリカンの部族)というあだ名で呼ばれていた。
『ラスト・オブ・モヒカン』で描かれた英軍とネイティブアメリカンの戦闘。
恐ろしい喊声は対峙した相手に相当な心理的プレッシャーを与えるものだったであろう。
一方でキツネ狩りの際に発する独特の叫び声、猟犬の唸り声が発祥だともいわれる。
そっちの参考動画も一応探したんだけどなんか別に、そんなにいい動画ないから別に貼らんどこ…。
ただ甲高い声が動物とのかかわりで生まれたもの、とする概念は的外れでもないように思う。たとえば「反逆者のエール」はしばしばカウボーイが言うような「イーーハーー!」で表現されることもあるのだが、イーハーの起源は猟犬や馬を操る際の命令(イー、が右、ハー、が左)ではないかというニューヨークタイムズの記事を見つけた。
THE WAY WE LIVE NOW: 1-06-02: ON LANGUAGE; Yee-Haw - The New York Times
ちなみにケンタッキー州では同名のバーボンを製造しており、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが熱狂的な愛飲家だったようです。
アマゾンでも買えるので誇り高き南部人はぜひ。
沖モチ表明島
オタクのみなさまお久しぶりです。といってもこのブロゴウを継続して閲覧している人物は地球上で私ぐらいでしょうが……
最後に更新した記事からこの数か月間、思えばいろいろなことが重なった。私事では出向命令が下り今までの部署から離れた新天地で懲役2年、大きく業種が変わるだけに嫌だな~怖いな~(稲川淳二)と思っていた矢先、この騒動だ。
生活様式が一変し、オタクの生命維持装置たるイベントやライブが軒並み中止に追い込まれるとは想像もできなかった。本来であれば5月にシャニ2ndが控えており、特に私は初めてのシャニ現地参戦だっただけに期待もひとしおだった。中止になってしまった落胆の度合いはすさまじく、メンタルがブレブレになって翌日会社を休んだ。
初の野外開催をうたったミリ7thも(チケットは外れてしまったものの)楽しみだったんだよなぁ!絶対楽しかったよソレ~~
この調子だと今年は夏場もイベント自粛の方向で各所が動くだろう。今年のアニサマやデレの未定ライブはどうなっちゃうんすか!ちょっと!!
なんて文句を言う反面、いまだにやる気満々なアニサマ運営にはある種の恐ろしさすら感じてしまったりする。ウィルスとの闘いは終わりが見えないものだけに、どこまで自粛すればいい?という問いに対して明確な答えを見つけることができず、もどかしい。
※追記:とか言ってたらアニサマの延期が発表されました。
ライブに限らず、大きく捻じ曲げられてしまった私たちを取り巻く環境をいかにして元に戻せばいいのだろうか?本来であれば行きたかった『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』は開幕初日から延期を続けており、果たしてこうした美術展が延期になった場合は展示が中止になるのか、それとも時期があとにズレ込むだけなのかは見当もつかない。映画館やカラオケ屋、服屋に商業施設といった私たちの生活に彩を与える商業・娯楽施設も未だ多くが閉店中で、ドア越しに見ることができるのは明かりが落とされた暗くなった店内だけだ。彩のない世界はあまりに空虚で、灰色であることが嫌というほど思い知らされた。
日本国内においては段階的に緊急事態宣言が解除されるものの、ライブ等のイベントは他の業種とは異なる別枠で審査され、最も厳しい制約を受けることになりそうだ。少なくとも今年いっぱいは大型イベント開催自粛、あるいはキャバ半減の方向で調整されてしまうのではないだろうか。現場から干された人生など生きている価値もないというオタクは私を含め多いだろうし、2020年は世界中で暗黒の年と記録されるに違いない。
思い返せばデレ7THが遠い昔の記憶みたいだけど、よく考えたらつい3か月前なんですよね……。楽しかったあの頃に戻してほしい。
暮れ無いに染まったこの俺を
オタクの皆さん、今年もお世話になりました。
思えば今年は例年になく現場に通ったような気がします。ざっと振り返っただけでも
・キャラソンJAPAN
・MTG012,013、014,15
・プロデューサー感謝祭
・グリムスパンキーのやつ
・ミリ6th SSA
・バンナムフェス
・デレ7th幕張・名古屋
あたりでしょうか。LVも含めたら更に増えるので大変だ。マLVは勝たねえから除外してんですけど。
今更だけどバンナムフェスとか名古屋公演とか全然レポ書きあげていなかったですね。誰が見ているわけでもないが自分の記憶を整理するのは大事なことなので年明けからはちゃんとしたい。
また、来年は私生活が激変する予定のため、今年の参戦水準を維持できるのか、はたまた在宅になるのかは何とも言えないところだ。そもそもこの生き地獄の責め苦に耐えられず花散らす可能性すらあるが、それでも生きている限りは参戦し続けたいですね。
とりあえず2月は是が非でも大阪行くゾ〜〜〜イwwww(YOSHIKI参戦生バンド紅に一抹の期待をかけて)
全人類渋谷パルコ行っとけって話
先月下旬、およそ3年の月日を経て渋谷パルコがリニューアルオープンした。オープンして数週間ほど経つものの未だに人入りは衰えず、未だに建物内部まで誘導の列が絶えないほどだ。
渋谷といえば同じく先月オープンしたばかりの「渋谷スクランブルスクエア」が記憶に新しい。また「東急プラザ渋谷」もリニューアルオープンしたこともあり、立て続けに大型商業施設が開業する様はなにやら再始動感があってワクワクしますね。
んで行った感想ですが、結論から言うと表題の通りなんです。
・素直にテナント最強です。
実のところ、最近の渋谷にはどことなく勢いを感じていませんでした。しかしながら渋谷パルコの光景──今まで聴いたこともないような店の軒先に見たこともないブランドの服が並ぶ様子や、白衣を着た研究者然とした店員がビーカーを振るうコーヒースタンド、サイバーパンク然としたフロアに並ぶ飲み屋──であったりと、一つとして「安牌を切ったものがない」空間に足を踏み入れた瞬間、渋谷を再び文化の中心地にせんとする意気込みを感じずにはいられませんでした。負けました、すみぺ。好きです。
実際のところスペイン坂のあたりって最近低まってたように思ってて、そりゃ別に上まで登ってもなんも目的ないし、「人間関係」の混み具合を確認するぐらいだったので、あの辺に活気が戻ったのは嬉しい気もする。誰かがこの件について「ハロウィンで騒ぐだけの面白くない奴らが集まる街」から「そこでしか体験できないことがある街」であった頃を取り戻そうとしている、と評していたのにはなんだか納得させられた。(個人的には、そういう面白くない奴らの居場所があってもいいと思うし、その辺を含めて渋谷の良さだと思う。懐深いね)
上京して初めて渋谷に来たものの「なンだよこの対しておもしろくもネー街はよォ!?」とか感じたボーイ達には是非ともおすすめしたいところです。
蓼クワス虫も好き好き
ちょっと前にクワスを作りました。
クワスとは
クワスは、東欧の伝統的な微炭酸の微アルコール性飲料。キエフ大公国時代から知られ、現在はウクライナ、ベラルーシ、ロシアなどで好まれている。
クワスはライ麦と麦芽を発酵させて作る。各家庭においてはライ麦パンと酵母を原料として手軽に作られる。クワスをパン種として、パン生地を練って、ライ麦パンを焼くこともある。 ロシアではクワスは夏の風物詩とされている。
です。
平たく言えばロシヤで昔から飲まれてきた炭酸ジュースみたいなもんですね。度数1%はジュース。
このクワス、本場ロシアではその辺の街頭で売られてるレモネード的飲み物らしいんだけど、日本ではついぞ見かけたこともないし、ロシア料理店でも置いてあるとこを見た記憶がない。なら自作すればいいジャンって感じなんだけど発酵とか諸々めんどそうで長らく敬遠していた。
一方で、だいぶ前からamazonに『インスタントクワスの素』なるものが出品されているのをチェックしていた。発見した時には売り切れてたのでいつ入荷するか虎視眈々と狙っていたわけだが、先日ふと見直していたら入荷していたので即・購入。
インスタントクワスの作り方
①水を入れて数時間放置
②さらに1日放置
こんなところです。蓋を閉めてると炭酸が抜けないらしい。
んで作ったのはこんな感じ。
なんか汚ねえよ!って感じだけど許して下さい。発酵させてンだから!
1日置いたクワスの見た目は発酵してるとは思えないほど無表情な暗黒物質だった。巷で作ってたやつらが言うような発酵のブクブクも確認できなかったのでアレ、失敗した……?ってすごい不安になってしまった。発酵は暖かい時期の方が進むらしく、9月ぐらいの涼しい時期に作ったのも時期ミスったかなあとか考えてしまったが、よく見たら底の方から炭酸の泡がシュワシュワワしてたので大方これが発酵であろうと自分に言い聞かせた。写真の容器下部に見える白い泡みたいなのがそれで、そこには沈殿物が溜まってます。
さて完走した感想ですが、今まで飲んだことがない味だと思いました。本当にそう表現するしかない味っていうか、砂糖は入ってるので甘みは十分にあるんですよね。だけど味がなんとも不思議というか、同じ発酵食品だからかちょっとコンブチャに風味が似てる気もする。
結論を言えば資本主義者の作る堕落したコカ・コーラに駆逐されるのもさもありなんという感じ。とはいえナチュラルではあるし、発酵過程のワクワク感が楽しいので一回ぐらいは作ってみてもいいんじゃないでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/dp/B01NCU2VO0