なぜオスマン帝国軍はヘルメットのふちを切ったのか?

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20190720015320p:plain

 

WW1時にドイツで製造が始まった「シュタールヘルム」は、現代まで続く「ドイツ兵」のシンボルを形作ったもののひとつと言えるだろう。一方で少なくない数の同鉄帽が同盟国家に輸出され、非ドイツ人も顎紐を通した歴史はあまりスポットを浴びない。特に興味深いのは東方の異教国、オスマン帝国で運用されたシュタールヘルムだ。というのも、なぜかオスマン帝国は鉄帽の「ふち」を切り取って運用しているのだ。

1916年に開発されたM16ヘルメットはその後脈々と続くドイツ兵鉄帽シリーズと比べ、ヘルメットの縁が頭部を丸ごと覆うかの如くかなり大きめに作られていることに気づかされる。時代が下るごとにこの縁は縮小化されるわけだが、我々のよく知るWW2時のドイツ兵ヘルム(右)と比べるとその鍔の大きさは一目瞭然だ。

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20190719235406j:plain

 

明確な根拠があるわけではないが、どうやらトルコ人がこのM16ヘルムを気に入らなかった理由として「宗教的な問題」が関わってくるようだ。イスラム教徒はお祈りをする際に額を地面につける為、このヘルメットの鍔が邪魔になるということらしい。この「ヘルメットの縁デカすぎ問題」は、オスマン帝国にヘルムを供給する前段階で既にドイツで検討されていた問題らしく、同盟国の宗教事情にも気を配る彼らの生真面目さが垣間見える。そんな経緯もありドイツ人は縁を大幅に削ったトルコ向け輸出ヘルメットをわざわざ1から作ったようだが、輸出された数は僅かだったらしい(フチが短く折り返し部分が存在するものがそれ)。

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20190720000800p:plain

 

 

代わりに出荷された大部分のヘルムは旧来の鍔長のものであったため、現場ではDIYで縁を切り取ったものが広く流通していた。ただ縁を切断しただけの急造品ゆえに上記のドイツ製ヘルムと違い縁の折り返し部分が存在せず、切断面がそのままな点で区別できる。オスマン軍のなかで鉄帽が配備された部隊は帝国下の精鋭、ユルドゥルム軍集団やHucum突撃部隊等ごく少数に限られ、大部分の他兵士たちはカバラクと呼ばれるピスヘルメット型の帽子を被っていた。

カバラクについては、功罪名高いオスマン軍の名将エンヴィル・パシャによって1914年の8月ごろまに製造された。そのため「エンヴェリイェ」と広く呼ばれたが、グルジア国境近くに住む少数民族の名を借り「ラズ帽」とも呼ばれていた。イギリス軍のピスヘルメットを芯に布をグルグル巻いたようなデザインだが、後期になるにつれ巻き方も雑になっていったらしい。

 

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20190720004029j:plain

トルコ兵が切り取っていた部分

 

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20200223000429p:plain

カバラク 

 

敗戦直前になってもドイツ人は懲りずにトルコ用ヘルムの改良を続けていた。輸出用に唾の部分を完全に切り落としガスマスク等を被りやすくした「トルコ型」と呼ばれるヘルムを開発していたが、大戦が終結すると輸出も白紙となり、しょうがないから余ったヘルメットが国内に流通することとなった。折しも帝政崩壊後のドイツは政治的衝突が活発な時期であったため、敵味方の区別がつくこのヘルメットは時の共和国軍から好まれたらしい。

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20190720005906p:plain

 

そんな経緯もあってローザ・ルクセンブルクスパルタクス団の蜂起を鎮圧したフライコーア(義勇兵)の一団がこの形状のヘルムを広く使用したことで知られる。図らずもトルコ兵の為に開発した装備が逆輸入された形となったのが興味深い。

f:id:BuriburiSaikyoNo1:20190720010436j:plain

 

思えばフェズ帽といいイェニチェリの被り物といいトルコ兵の被り物はたいてい鍔が無い、もしくは短い物のような気がする。将校が被る帽子もパパーハみたいな毛皮の縦長帽子だし。ちなみに同時期のガージャール朝ペルシャ軍でもトルコ軍と似たような縦長帽子が将校の制帽になっています(もっとも歩兵は普通に鍔の付いたピッケルハウベとか被ってたみたい)。オスマンでもシパーヒーの兜は普通に鍔ついてるし決して鍔=反イスラム的という訳ではないんだろうけど、どうなんだろう?