そう思わないとやってられなかった

 

とある人物がとりとめもない日記を書いているのに影響され、腰を据えて文章を書く練習になればと思いブログを始めたくなったので開設した。

「日々の生活、喜びと悲しみ、特別な出会い、ちょっとした考えや思いつきをブログに書き残してください。しばらく続けて読み返したときに、また新しい発見があります。」ということなので、暇時の慰みにチマチマと書き残す所存だ。

元より私はツイッターで駄文を垂れ流していたわけだが、SNSは文字制限があるし、匿名掲示板は流れが早かったりする。ブログはその塩梅がちょうど良いことから、長文の情報発信が出来る場として再び選んだ。

というのも、10年ほど前に「TalesWeaver」というオンラインゲームに熱を上げていたことがあり、そのゲームに関連したブログを運営していた時期があったのだ。

当時は若く、恐れを知らない戦士のように振舞っていました────このブログを開設するに当たって、純真無垢な頃の私がいかなる黒歴史を瓶詰めにして電子の海に放流していたのかじゆうちょうを捲るような心持で恐る恐る検索してみたが、グローバル大企業Googleですらその消息を掴むことは容易ではなかったようだ。

己のブログがダークウェブ上に存在することに「とうとう俺も」と言い知れぬニワカアングラ的充足感が湧き上がってきたのもつかの間、当時同じクラブ(他ゲーでいうギルドやクランを指す)だったプレイヤーのブログを発見。リンク集から自分のブログに飛んでみると404だったので、多分ゲーム辞める時に自分で消してたなこれ。

件のプレイヤー某はグラブルへ100万使ったことを自嘲的に綴った記事を最後に更新が止まっており、人はそう簡単に変わるもんじゃないよねと過去から私へ語りかけてくるようであった。私も10年前から少しでも前進していると思いたいけれど、してなかったらそれはそれでしょうがない。

昔を振り返り「あの時○○に費やした時間を有意義なことに使っていれば」と軽い自己嫌悪に陥ることはよくあることだ。特に物心ついたときからゲームの虫(バグ)である諸兄らがレアドロ狙いに日がな1日狩場に張り付き「なぜ俺はあんなムダな時間を・・・・・・」と今更一人ごちているのは合衆国政府が運用する通信盗聴システム「エシュロン」から伝えられる極秘情報で知っているんですよ。仮想現実にのめりこんでいくにつれ俺もこっちで強くなりすぎた・・・している間にリアルではその代償を払い続けなければならない。その結果、熱が冷めた跡に残るのは荒んだ現実だけかもしれない。 

しかしマー何だ、乱暴に言えばそりゃゲームなんかで遊んでる時間はムダだけどサ、娯楽をムダと切り捨てれば生きてても乾いたことばかりでしょう。ゲームは他と違って形に残らないと言われればそれまでだけども、遊びの経験は自分の血肉になってアイデンティティを形作る立派な構成要素だと言ってもいいんじゃないですかね。遊びも学びなんだよとはなんと吸いも甘いもをかみ分けた上での言葉なのだろうか。それでもムダだというのであれば最早虚無主義に走るしかない。「この世にこれは価値だと声を大にして叫ぶに値することがあるかね 全てがまやかしじゃないか」と説いたねずみ男ではないが、現世のことがらは等しく価値がないとも言えるし、逆に全てに価値を見出すこともできると思うのだが、どうっすかそこんとこ?

 

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